「ロザリア」

 研究院やその他の機関から預かった資料を女王の執務室まで運ぶために廊下を歩いていたとき、不意に呼び止められた。振り返ると、背後には爽やかな笑顔が好印象な風の守護聖が、黒い縁の白いポロシャツとジーンズというシンプルな格好で佇んでいた。
 あら、と振り返り、ロザリアは軽く会釈した。

「ランディ。どうしましたの、今日は休日ですのに」
「恐れ多いなあ」

 苦笑しつつ、ランディはロザリアの側まで歩み寄ると、彼女の両手に積まれている書類の数々を見下ろす。

「休日出勤?」
「ええ、昨日にこなせなかった分をアンジェリークと一緒に。ランディは、どうしてここに?」
「俺は、単に暇だったから宮殿をぶらぶらしているだけなんだけど」

 自分ばっかり遊んでいてなんだか申し訳ないよと、ランディはロザリアの両手から書類をごっそり取ると、自分の懐に抱えた。代わりに持ってくれようとしてるのだと気付き、ロザリアは慌てて「いいわ」とランディの手から書類の束を取り返そうとする。

「このくらい大丈夫です」
「相当重いよ、これ」

 こんなの運んでたら君の腕が折れちゃうよという何気ない一言に、思わず顔を赤くする。歩き始めるランディにハッとし、追いかけて書類を奪おうとするが、彼は腕を遠ざけて頑なに拒んだ。ロザリアの行動などお構いなしに、一番上に積まれている書類に目を落とし、

「なになに……両聖地の下水道工事における住民の苦情と要望について……
 うわ、宇宙のことじゃなくて、聖地のことなのか。大変だなあ、アンジェリークも……」

 などと、しみじみとした口調で呟いている。書類を奪い返すことは一端忘れ、ロザリアは、強気になってランディに言った。

「施政とは、こういうことですわ」
「確かにね。俺たちは周りから守護聖と言われていても、結局は自分の得体の知れない力に頼ってるだけだからなあ……」

 サクリアが自分の内から出てくる仕組みが未だに分からないと、ランディは神妙な面持ちで首を捻った。宇宙を司るという壮大な立場にいるというのに、全くそういった素振りを見せない素朴な守護聖の姿に、ロザリアは可笑しくなってくすくすと笑う。ひとしきり笑ってから我に返り、再びランディから書類を取り返そうと試みるが、その時には既に女王の謁見の間の廊下に差し掛かっていた。
 ああ、もう、とロザリアは廊下の奥を見つめて溜息をつき、立ち止まる。歩みを止めたロザリアに、先に行っていた風の守護聖は振り返った。

「? どうしたんだ?」
「恐れ多いのはこちらですわ。今日は、守護聖の皆様にもお休みになって頂かなければならない日ですのよ」
「女の子たちに残業を任せて自由に遊び回る男の守護聖ってどう?」

 俺が逆の立場だったら渋い顔をしちゃうよ、と肩をすくめてみせる。ロザリアは口を尖らせてランディの顔を睨んでいたが、じきに諦めて苦笑いを浮かべた。

「優しいのね、ランディ」
「……本当は……」

 不意に、ランディは真顔になってうつむき、じっと書類の束を見つめ、

「本当は、昨日立ち聞きして、君が休日出勤する予定だってことを知ってたんだ」
「え?」
「だから、来たんだ」

 ぼそりと呟いたのがあまりよく聞こえず、聞き返そうとロザリアが口を開く前に、ランディは大股で歩いて謁見の間への扉の前まで行くと、「失礼します!」と大きな声を上げて中へと入っていった。いや、女王の執務室は謁見の間の奥にあって、そこから挨拶をしてもアンジェリークのいる部屋に声は届かないのだけれど、とロザリアは不審に思ったが、ふとランディの口にした一言を思い出して、瞬時に耳まで真っ赤になった。それってつまりと考え込みそうになるのを、今は仕事中なのだからと必死に振り払って、慌てて先に行った男の後を追いかけた。